俺の舌癌

海外赴任先のタイ、バンコクでステージ1の舌癌が発覚した男の手記。

生検

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1週間はあっという間に過ぎた。

結論から述べると、頼みの綱であった抗生物質も全くもって効果を発揮することはなく、約束の外来日に。

診察室に到着し、抗生物質が効かなかった旨を伝えると、やはり少し切って詳しく検査をしましょう、との医者からの提案。

この日もRが付き添いで来てくれており、細かく説明してくれたのは本当に助かった。

 

タイ人Dr「それでは、午後に又来てください。準備をしておきます。」

 

俺とRは一度、病院を出て、近くのベトナム料理屋でランチを取ることに。

タイ人Drからは、今日、明日くらいはもしかすると少し痛みが出て、食事が取りにくいかもしれない、と脅された。

本当にそうだとしたら、がっつり美味いもんでも食べておきたいところだが、全くもって食欲が湧かない。

俺はベトナム料理屋でフォーを一杯注文し、美味いのか不味いのかも解らないままいつの間にかフォーを食べ終えていた。

もう頭の中は舌を切ることへの恐怖で一杯。

とはいえ、仮に本当に癌だったとしたら検査しなけりゃ解らない。

 

約束の時間になり俺は腹を括って、Rと共に病院へ戻った。

 

診察室と違い、2階の手術室のような場所へ案内される。

ここでRとはお別れ。

ここから先は本人しか入れない、のだと。

生まれてこの方、大きな病気も怪我もしたことがないので、手術もしたことが無ければ手術室へ入ったのも初めて。

緑色の帽子を被らされ(髪の毛が落ちないように?かな)、8室くらいあるうちの一つの部屋に通された。

 

これが手術室か。

コードブルーや白い巨塔なんかに出てくるあの設備。

初めて見たのがまさか海外とは。

無機質な広い部屋のど真ん中に、無機質なベッドが怯えたように横たわっていて、そのベッドを無機質なライトが金属的に照らしている。

そこに寝るように催促され、周りを6名程度の医者が囲んだ。

 

タイ人Dr「15分程度で終わります。局所麻酔をかけるので、全然痛くないから安心して下さい。」

 

リーダー格のDrがそう言い、早速スタート。

舌の付け根と舌の痛い患部に一、二度、針が刺さる痛みを覚え、そこからしばらくしてすぐに感覚が無くなって来た。ちなみに局所麻酔なので、意識は普通にある。

リーダーが手慣れた作業でメスを動かすのを横目でうっすら垣間見る。

直視はとてもじゃないが怖くて出来ない。

予定の15分丁度が過ぎたあたりで、終了。

 

タイ人Dr「はい、終わりましたよ。うがいをして下さい。今日、明日は痛み止めを飲みながら刺激物はなるべく食べないようにして食事をして下さい。検査の結果が出たら、又連絡します。」

 

そう言って、俺を検査室の外まで見送ってくれた。

普通に歩けるし、麻酔が効いているせいか全く痛みはない。

待合室で不安そうな顔をして待っていたRも、一安心。

 

痛み止めを帰りにもらい、この日は仕事もお休みを頂くことにして家へと戻った。

2017年、6月下旬。

疑惑

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俺の予想は見事に外れ、処方された薬は全く効かなかった。

塗り薬も、飲み薬も。

一体、あの薬は何だったのだろう?本当に薬だったのか?

さすがにここまで来ると少し不安になって来る。

不安に拍車を掛けるのが「痛み」だ。

ここ最近、益々痛みが増している気がする。

 

 今回ばかりは、しっかりと医者からの説明をきちんと理解したいので、R(彼女)にも付き添ってもらい、通訳を頼むことに。

 

先日の薬が全然効かなかったから又来たという事を窓口で伝え、ロビーでしばし待機。

今度は前回と違う診察室へ通され、前回とは違う医者が出て来た。

 

今回は2−3分、入念に舌を調べ、首を触り、いつから痛いのか?どのように痛むのか?質問攻めにあう。それをRに訳してもらい、医者はその都度大げさに頷き、カルテに暗号のような文字をスラスラと書いてこちらを見て、真剣な面持ちでゆっくりと話し始めた。

 

彼女の顔が少しずつ曇っていくのは明らかに解った。

最後に医者が、彼女に全て話したからあとは彼女から全て聞いてくれ、と俺に告げ、診察室を後にした。

 

俺「彼、何だって?俺、何か大きい病気?」

 

R「普通、口内炎は数週間で治るものなんだって。

彼は専門ではないから詳しいことは解らないとは言ったけど、、、もしかすると舌の癌かもしれないって。。。」

 

俺「、、、それで?」

 

R「今日、抗生物質を出すからこれを1週間飲んで、来週又来てください、だって。」

 

俺「、、、それで?」

 

R「それでも、痛みや腫れがまだひかないようなら検査の為に少しだけ切って詳しい検査をしましょう、だって。」

 

俺「えーーーーーーーーーーーー、切るの?嫌だよ!」

 

R「大丈夫だよ。検査用にほんの少し切るだけで、すぐ終わるんだって。全然痛くない、って言ってたよ。それにちゃんと検査して、なんの病気かちゃんと調べなきゃ」

 

俺「。。。。。。。。。」

 

 

実際は、こんなにスムーズな会話ではない。

Rは、日本語が話せるが、俺と同じように専門医療ワードまでは解らないのだ。

病院のロビーで、上のような会話を20分程度、繰り返したと思う。

 

しっかり検査をしろ、というRと、検査だろうが何だろうが、癌という言葉以上に「切る」というキーワードにビビりまくりの俺の押し問答。

昔から注射が本当に苦手なのだ。痛いのだけは本当に勘弁してほしい。

 

その晩から、タバコも酒も控えめにし、抗生物質が劇的に効く事を祈り、1週間後、「問題なさそうですね。」と医者が笑顔で俺に告げてくれる事を願いながら、日々を過ごすことになる。

 

2017年、6月中旬。

初診 in バンコク

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タイで就労ビザを持っている外国人は、日本の社会保険のようにタイ国内の病院で利用出来る保険証を持つことが出来る。

日本の社会保険国民健康保険と違うのは、原則指定された病院でしかこの保険が利用出来ない、という点にある。

 

俺はこの4年半、お陰様で大きな病気も怪我もなく過ごしてきたので、タイの病院に厄介になったことは一度も無い。

今回、初めての診察がまさか口内炎とは思ってもみなかった。

 

日本から帰国し、数日後。

バンコク市内の総合病院であるK病院へ。

 

パスポートと、保険証を提示し、口内炎が2ヶ月程度、治らない旨を窓口で伝え、しばしロビーで待機。

ちなみに俺は、タイ語も英語も日常会話程度は問題ないのだが、医療ワード系はほぼ無知に近い。

ここは日本語の話せる医者も通訳もいない。

問題ないだろう、と思っていた。

所詮、タチの悪い口内炎

キョーリョクな薬を貰って、数日様子を見れば治るだろう。

 

現に担当した医者も俺の舌を見て、何か医療キーワードを早口でまくし立て、

ものの1−2分で診察は終了。

帰りに塗り薬とカプセルの薬を貰っておしまい。

 

「これでまだ治らなかったら又、来てください。」

 

そう医者が最後に告げたのは理解できた。

 

その必要はない。

その時はそう思っていた。

 

2017年6月上旬。

染みるぜ、エビバデ

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今回は、中々治りの悪い口内炎

バンドで歌うのも痛くて少しキツくなってきた。

そんな中、昔のバンドメンバーだった仲間が結婚するとの知らせが。

昔のメンバーが全員、式に集まるという訳で披露宴の余興で一曲、歌うことになった。

 

約1年ぶりのTOKYO。

空港のセブンで早速、おにぎりを買い、ゆっくりとフィルムを脱がし、じっくりと一口、一口、味わって喰らう。

 

泣きそう。

 

最早、帰国の際の恒例儀式。

しかし、今回はいつもの感動が少しばかり足りない。

口内炎が染みて、痛いのだ。

治りが悪いどころか、最近痛みが増してきている気がする。

 

とにかく式場へ急ごう。

到着すると懐かしのメンツが勢揃い。

痛みをアルコールで麻痺させ、久し振りにこのメンバーでの演奏。

楽しまなきゃバチが当たる。そして、何より友のめでたい宴を盛大に祝いたいではないか。

 

結果、痛みよりも、アルコールが勝った。

歌えはしたがその分、我ながら酷い歌だったと思う。

だが、もう俺はプロの歌手ではない。

気にすることはない。

 

その晩は久々に痛みを忘れ、飲んで飲んで飲みまくった。

翌日、翌々日、久々に日本のうまい飯を喰いまくった。

やはり、何を喰っても舌が染みて痛い。

ビールや焼酎、更に日本酒、

彼等がしばし痛みから俺を解放してくれるのが救いであった。

 

どうやら今回の口内炎は市販薬では治らないのかもしれない。

タイへ戻ったら病院に行って薬をもらおう。

 

2017年、5月。

いつもの口内炎

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2013年の4月より俺はタイ、バンコクで働いている。

タイ語も英語も全く話せずに、この国にやってきて、早4年半。

今では、タイ人にタイ語で道を聞かれるまでになり、タイ語で道案内をすることも出来る。

それが、タイプの若い女の子でもあれば、気の利いた挨拶の一つや二つをついでに言ってやることも出来るだろう。

 

俺は、IT関連の仕事をしていて、週末は気の合う友人達と組んだバンドでギターを弾き、歌い、ビールを飲み、皆でバカ騒ぎをして楽しむことを愉しみに、平日を駆け抜ける暮らし。

付き合って2年になる可愛いタイ人の彼女もいる。

ローカルのタイ飯屋は当たり外れがあるが、彼女の作るタイ料理はどのメニューも最高にうまい。

いつか金が溜まったら結婚するのも悪くないと思っている。

(特にこの写真の「鶏肉のガパオ炒め」は最高。俺は辛いのが得意でないから唐辛子抜きがデフォ)

 

 

こんな暮らしがいつまでも続くとは思ってはいないが、このまま終わらない気もしていたし、何処かでそれを望んでいたんだろう。

 

年に数回、舌に出来る口内炎

今回もいつもの口内炎だと思っていた。

 

2017年、4月。

俺のブログをご覧頂く全ての皆様。まず『はじめに』ご覧下さい。

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2017年、夏。当方、33歳男性。

右舌部に低分化型扁平上皮癌を患う。

 

このブログは、俺の俺による俺の為の「舌癌」を主なテーマとした”所詮、公開個人日記”であり、それ以上でもそれ以下でもなく、医療関係者様のご意見や医学的データを否定する意向は1,000%無いことをここに誓わせて頂く。

 

又、俺と同じく舌癌攻略ミッションの天命を授かりし皆様方。

俺は、”とある”舌癌患者の一人にしか過ぎず、

繰り返しとなるが、このブログは、俺の俺による俺の為の「舌癌」を主なテーマとした

”所詮、一癌患者の公開個人日記”であり、それ以上でもそれ以下でも断じてない。

どうか”所詮、一癌患者の個人日記”をあーだこーだ深読みしないように。

俺は医者でも医療関係者でもなく、貴方と同じように、ある日突然、舌癌認定をされたただの患者でしかないのだから。

 

後々、骨身に染みて思うのだが、舌癌のみならず、癌は病との闘いではなく、決断との闘いであると個人的には思っている。

自分の命に関わることを自分自身で決断していかなければならないのだ。

 

つい昨日まで、

「ねー、知ってる?●●ちゃん、癌なんだって。大変だよなぁ。まだあんなに若いのに。あ、おネェさん、ビールもう一杯!」

とかなんとか言ってた俺も、ある日突然、癌攻略ミッションへの参加を強制的に任命されてしまったのだ。

拒否は出来ず、その瞬間から突然そのミッションは開始し、辞退は不可能。

「ご経験の無いミッションに任命されたのはお気の毒ですが、最早もうやるしか無いのです。

もう始まってしまったのです。攻略しなければ最悪、そこに待っているのは貴方自身の死です。」

と、このゲームの”とある”担当者は、さらりと説明してくれた。

泣けてくるぜ、全く。

 

それでも進んでいかなくちゃならんのだよ。

進んだ先で、道が幾つかに別れていたら、どの道を行くか自分で決めて、進んでいかなくちゃならんのだよ。

豆腐メンタルの俺にはとてもきつい。一人じゃとてもやりきれそうに、無い。

だから、せめて個人日記を公開する事で、誰かの目に止まる事で、少しでも気が紛れればと思う。

同時に、俺と同じく癌攻略ミッションに立ち向かう方々へ、希望や攻略法を与える事は出来ずとも、ほんの少し、せめてもの勇気を共有出来ればと思う。俺の舌癌で。

 

ENO